1.王国の時代

BC6世紀頃にはインダス川流域からガンジス川中流域に中心地は移動し、マガタ王国が強大な力を誇っていました。この頃文字や貨幣が使用されるようになり、また釈迦が生きたのもこの時代で後に仏教も誕生します。

BC4世紀頃にバラタによって編纂されたといわれるナティヤ・シャストラは舞踊・音楽・演劇について著された最初の書物として残されています。こうしてこの地の芸能は次第に理論化され、古典芸術の枠組みが作られていきました。この時期、インダス川流域やガンダーラ国はアケメネス朝ペルシャに支配されていました。 そして紀元前326年にはギリシャ勢力であるマケドニアのアレクサンダー大王に侵略されます。しかしアレクサンダーの死後、マガタ王国に興ったマウリア王朝に敗れ、ギリシャ勢力はこの地を追われます。

そしてマウリア朝の第3代アショカ王の頃には、インダス川からガンジス川にいたる地域、そして東はバングラやオリッサまでにも勢力を伸ばし、南もインド半島南端部を残して一帯はほぼ統一されます。この時期に、アショカ王によって当時の先進文明は仏教と共に広く周辺地域に伝えられたと言われています。

2世紀前半、南インドのデカン高原一帯はドラビダ系のサータヴァーハナ朝が支配します。サータヴァーハナ朝は南部の港を拠点に外国貿易で栄えていきました。 北から中部インドにかけては西北から侵入したイラン系クシャーナ王朝が成立します。第3代カニシカ王の時代には中央アジアから北インドにかけて広大な王国を築き、ローマ帝国から後漢朝を結ぶ交易路の陸路(シルクロード)の中心を押さえ繁栄し、日本に伝わる大乗仏教やガンダーラ美術も生まれました。この時期は政治的には不安定でしたが宗教面では仏教やジャイナ教が盛んになり、またバラモン教と土着の信仰が融合しヒンドゥー教が成立し、後に「マヌ法典」も編まれます。

3世紀中頃にはクシャーナ朝はササン朝ペルシャによって滅ぼされ、その後グプタ朝がガンジス川中流域に成立し、北インド一帯を支配します。このころインド文化はあらゆる面で進歩を遂げていき、現在ではあたりまえになっているゼロの概念や十進法が発見されます。またヒンドゥー教も隆盛しヒンドゥー教寺院も建設されるようになります。仏教は次第に衰退していきますが、エローラ・アジャンタの石窟寺院の壁画や仏像などはより洗練されていきます。

5世紀半ばにグプタ朝は滅び、ハシャル王国がとってかわりますが、それも長続きせず半世紀で滅び、各地の小王国マハラジャの時代に移っていきます。